【中田敦彦のYouTube大学】賛否問うなら代案も

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はじめに

オリエンタルラジオで知られる中田敦彦氏による中田敦彦YouTube大学”というチャンネルをご存知だろうか。

このチャンネルでは、歴史・経済・哲学などのテーマから毎回1つを取り上げ、中田氏が素人にも分かるように明瞭かつ面白くプレゼンしていく。

2019年4月より始められたこのチャンネルは、早くも同年9月には登録者数100万人を突破するなど、圧倒的なスピードで人々からの支持を受けている。

これは自らの専門分野ではないテーマについて事前に知識を仕入れ、それをほぼ毎日アウトプットし続ける中田氏の努力の賜物だろう。

しかし最近ネット上でこのチャンネルへの批判の声が相次いで聞こえてくる。

どうやらこのチャンネルには、高校教科書レベルの内容の誤りがいくつか存在するようだ。

チャンネルの2つの問題点

内容の誤り

事の発端は、イスラム思想研究家である飯山陽氏の↓のツイートだ。

 

ご覧の通り飯山氏は、中田氏のチャンネルを痛烈に批判している。

そしてこの投稿を皮切りに、中田氏のチャンネルへの批判が相次いでなされるようになった。

今回の炎上の主要因は、人物名の誤り(ムスタファ・ケマルをムスタファ・タマルと間違える)や事実誤認(独ソ戦開戦経緯の史実とは異なる説明)などの内容の誤りに由来する。

しかし個人的に、内容の誤り以上に深刻であると思われる問題点を挙げたい。

内容の偏り

歴史、政治思想や経済政策などについては様々な角度からの解釈があり、ただ一つの正解など存在しない。

例えば新聞一つとっても、政権寄りの記事を書く産経新聞があれば、反政権的な見解で筆を取る朝日新聞などもあり、情報供給者の解釈や政治的意図、方向性によって情報の伝わり方は変わってくる。

従って我々は、単一の情報媒体に頼るのではなく、多方面に渡る情報媒体から知識を仕入れる必要がある。

そして各々を比較検証した上で、自らの解釈を確立するしなければならない。

しかしながら中田氏は、自らが読みやすいお気に入りの著者(池上彰氏など)の著書ばかりを情報源として選出し、視聴者に対してそれをあたかも唯一の正解として提供する傾向がしばしば見られる。

さらに著書の内容の中でも自分が理解できない難解な箇所は放置して解説しない、という姿勢も存在する。

恣意的に選択された偏りのある情報を供給することで、視聴者の思考能力を奪ってしまっている現状が果たして健全といえるのだろうか。

チャンネルの素晴らしさ

ここまで中田氏の動画への“ディスり”を行なってきたわけだが、何も私は中田氏の動画を全面的に批判しているわけではない。

むしろ私は、“中田敦彦YouTube大学”をあらゆる人々に対して知識への門戸を開いている極めて良質なコンテンツと認識している。

以下このチャンネルの3つのメリットを簡単に紹介したい。

チャンネルがYouTube上で無料で公開されている

このチャンネルは、ネット環境さえあれば誰しもが無料で視聴できる。

まさに知識を得るための敷居を大きく下げたといえる。

難解な事実が分かりやすく解説されている

さすが一世を風靡したお笑い芸人なだけある。

中田氏のプレゼンは要所要所で笑いを交えて進められるため、見ていて全然飽きない。

また以前NHKの高校地理講座のMCを担当していた経験も生きているのだろう。

非常にスムーズだ。(この講座で初めて彼の存在を知った当時の私は相当情報に鈍かった)

学校の長ったらしい退屈な授業に辟易としている中高生にとっては、まさに救世主とも言える存在だ。

社会への興味を抱くキッカケとしての役割

中田氏のチャンネルは、これまで社会問題などには全く関心のなかった人達に対して興味を抱かせる効果がある。

これは非常に尊いことであり、このチャンネルの最大の存在意義でもある。

twitterYouTubeのコメント欄を見ても、中田氏のチャンネルにより学びが楽しくなったと述べる人々は大勢存在する。

チャンネルの未来

以上このチャンネルのメリットおよびデメリットを述べたところで問いたい。

中田敦彦YouTube大学”は今後どうあるべきであろうか。

各々自分の考えをお持ちだろうが、私の主張は以下となる。

これほど良質なコンテンツを絶対に潰してはいけない。

しかし現状の問題点を解決させるべく、後述する処置を取る必要がある

確かに中田氏のチャンネルには偏りや誤った情報も多いが、これらは以下2つの施策を講じることで解決に導けると信じているからこその主張である。

中田氏が講じるべき2つの施策

配信前の外部チェック

勿論これはボランティアではない

毎回相応の対価を払った上で、有識者に内容のチェックを依頼する必要がある。

この策を適切に講じることで、“誤った知識の伝達”という事態は今後回避されるだろう。

皆さんの中には、以下のような疑問が浮かぶ人もいるかもしれない。

「毎回テーマが異なるのに、その都度異なる専門家からチェックを受けるなんて現実的ではない」

確かに最もな疑問だ。

しかしここで思い出してほしい。

今現在、中田氏は頼んでもないのに既に多くの識者たちから誤りを指摘されまくっている事実を

しかも完全無料の大サービスである。

これは中田氏のチャンネルの影響力の絶大さゆえに生じた事態である。

さらに金も人脈も豊富に有する中田氏にかかれば、今後相応の対価を払って識者の助けを得ることなど朝飯前であることをも証明している。

相反する主張を含める

1つ目の手段を講じることで確かに内容の誤りを極力無くすことは可能になるが、それだけでは不十分である。

繰り返すが現状では、中田氏のチャンネルでは恣意的に選択された偏った情報が世に流れている。

そこで提案したいのが、対立する2つの主張を含めた内容の配信だ。

具体的にいうと、今後中田氏は対立する主張が記される2冊の本を毎回読み、双方の主張を理解した上で、それを両方ともプレゼンに落とし込むべきということだ。

例えばカジノ法案の是非について扱うのならば、カジノ推進派のAさんが記した本およびカジノ反対派のBさんが記した本いずれも読んだ上で、双方の解釈を発信するということだ。

そうすることで、視聴者に提供する情報の偏りを大幅に阻止することができる。

勿論2冊というのはあくまでも最低限度であり、チャンネル名に“大学”と謳っている以上は本来少なくとも10冊は参照すべきだと思う。

しかしそれによりチャンネルの更新頻度が極度に下がることは、初学者へのキッカケ作り、というチャンネルの性質に支障が出ることを意味する。

従ってこの点は考慮したい。

まとめ

以上偉そうに私見を述べてきたわけだが、私は当然ながら中田氏のスポンサーではないばかりか、熱心な視聴者でも歴史家でもない。

たかが1人の傍観者に過ぎない分際で何をいっているのか、と思われる方もいるだろう。

中田氏のチャンネルのファンの方であれば、冒頭部分で気を悪くされた方もいるだろう。

申し訳ない。

しかしながら、私が今回少なくない時間を要して当記事を書き上げたのには、1つの理由がある。

それは、中田氏の動画が今後日本の未来への希望ともなり得る存在、だと信じているからだ。

中田氏が制作するチャンネルに対して、これまで勉強とは無縁であった多くの人々が熱中していることは紛れもない事実なのだ。

そんなチャンネルは日本中探してもどこにもない。

この貴重なチャンネルを世の中から消してはいけない

そんな思いに駆られてここまで長々と書き連ねてきたわけだ。

いわば中田氏のチャンネルは、シェールガスの採掘を達成した新技術のようなものだ。

シェールガスとは長年の間技術の未発達により人々が泣く泣く採掘を諦めていた、貴重な天然資源だ。

それが新技術の開発により、人間はついに手に入れることができたのだ。

 

確かにシェールガスは湧き出た。

しかしまだシェールガスはその十分な便益を我々の生活にもたらしてはいない。

それどころか、環境への悪影響が報告されてすらいる。

 

中田氏の今後のあり方に注目したい。

 

www.tanukiqi.com

 

 

 

 

GAFAの光と闇を徹底解説【GAFA四騎士が創り変えた世界】

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 はじめに

2018年にアメリカの著名な大学教授、スコットギャロウェイによって記された著書GAFA四騎士が創り変えた世界」をご存知だろうか?

 

 

GAFAとはGoogle、Amazon、Facebook、Appleという今まさに世界を牛耳る4社の頭文字から作られた造語だ。

この4社の行方により今後の世界情勢が決まるといっても過言ではないモンスター達であり、本書では彼らの特徴が鮮明に描かれている。

本書は以下2つを軸にしている。

 

GAFAの光の面:消費者や企業にもたらす好影響

GAFAの闇の面:今後の世界にもたらす悪影響

 

特に筆者はGAFAをあまりよく思っていないようで、後者の記述に圧倒的に力を入れている…笑

GAFAについて知ることは、この世界を生きていく上で非常に重要だ。

是非皆さんにも読んで頂きたい。

しかし本書はあまりにも長く内容が濃いため、読み切るには中々の時間と労力が必要だ。

そこでこの度、京大卒業を控えて暇を持て余している私が、お忙しい皆さんの代理として本書の論点をお届けしたい。

私の記事を読むだけでもGAFAについて理解を深めることは可能だろう。

買うか買わないかはあなた次第、この記事を読んだ後に決めてほしい。

しかし一つだけお願いがある。

もし購入を決断したのならば、是非とも記事内に設置した本書リンクをポチッとしてやってほしい笑

卒業を控えた私は、実に金がないのである…

では本題に移ろう。

GAFAの光の側面→GAFAの闇の側面→まとめ

と順に楽しんで頂けたら嬉しい。

GAFAの光の側面

アマゾン

2018年現在、全米の64%の世帯がアマゾンプライムを契約している。

これは大統領選の投票率(55%)や教会でお祈りをする人(51%)よりも大きい数字だ。

さらにスーパーやデパート等の実店舗で買い物する際も、4人に1人は事前にアマゾンのカスタマーレビューをチェックしてから買い物をする

今や私たちの生活に莫大な影響を及ぼすアマゾンは、どのような成長軌跡を歩んだのだろうか。

アマゾンは1994年、Eコマースの将来性をいち早く察知したジェフベゾスという1人の人物により創設された。

さて当時のアメリカの小売業界といえば、泣く子も黙るウォルマートを筆頭に、クローガーやホームデポなど錚々たる猛者たちがしのぎを削っていた戦場だ。

そんな中にアマゾンはどう立ち向かっていったのだろうか?

まず工夫したのが、商材を絞ることだ。

最初からあれもこれも手を出してしまっては、中途半端に終わるのがオチである。

当初は今のようにどんな商品も取り扱うのではなく、“本”に絞って勝負した。

またアマゾンはここで一つ革新的な作戦を考えた。

ブックレビュー(書評)の導入だ。

今となっては当たり前のシステムだが、本を宣伝するのは小売店の役割であった当時としては、斬新的なアイデアだった。

なぜそんなことをしたのか。

理由は、会社の広告宣伝費を浮かすためだ。

ブックレビューの考案により、アマゾンは自社で商品の宣伝をする必要がなくなり、流通網の構築に専念することが出来たのだ。

また、実店舗を持たないと言う判断もアマゾンの成長を後押しした。

莫大な設備投資やそれに伴う人件費を抑えることが出来たからだ。

近年は倉庫の効率化をロボットの導入により徹底することで、もはや他社では逆転不可能なレベルでの価格優位性を持つようになった。

売店としても、アマゾンのプラットフォームを利用することで、余計な販促費を費やすことなく商品をより多くに人々に売ることができる。

私たち消費者にとっても、以前ではあり得なかった多様な選択肢が安価で手に入るようになった。 

以上がアマゾンの表の姿だ。

実に素晴らしい。

アップル

アップルの特徴を一言で言えば、圧倒的なブランド力

iPodiTunesiPhoneApple Watchといった革新的な製品やサービスを次々と打ち出すアップルには多くの人々が熱狂する。

ここ日本でも、iPhoneの新型発売の際には徹夜して並ぶ人々の姿が毎回ニュースになっている。(これを見るたびに笑ってしまう私は実に性格が悪い)

“時代の先をゆく最高に格好いい存在”とでも消費者を錯覚させるだけの魔力をアップルは放っているのだ。

この類稀なるブランド力は、アップル創始者であるスティージョブズの巧みな戦略により生み出された。

その戦略が如実に表れているのが、日本でもお馴染みのアップルストアだ。

大都会の一等地に行かないと出逢えないあのガラス張りの美しい箱は、アップルのブランド価値を確固たるものにした。

しかし意外にも、ティージョブズが直営店の構想を発表した際には多くの専門家に笑われたという。

「携帯電話など高級品になれるはずがない、こんな高級感を出してどうするんねん」と

確かにこれも一理ある。

考えても見てほしい。

我々は携帯電話以外の電化製品 (洗濯機や冷蔵庫、テレビなど)の1ブランドに夢中になったりするだろうか。

10年前、ガラケーの製造メーカーを友達に自慢していただろうか。

しかし凡人の常識をぶち破り、新たな常識を築き上げるのがイノベーターと呼ばれる存在であり、スティーブ・ジョブズという男なのだ。

今やiPhoneは、スマホ市場において誰もが認める最高級ブランドとして多くの人から羨望の眼差しを受けており、世界のスマホ市場の利益の86%を独占している。(Counterpoint Researchの2017年調査結果による)

アップルストアの1平方フィート当たりの売上は、2位のコンビニエンスストアを大きく引き離し、小売業界で最高の数字を叩き出している。

お洒落な街の、お洒落なストリートにある、お洒落な箱の中で最先端の製品に触れば、人々の心はいとも簡単に動かされてしまうのだ。 

圧倒的なブランド力を身に纏ったアップルは、筆者の見解によればGAFAの中で最も潰れるリスクが低い企業だそうだ。

ちなみに2018年8月、世界で初めて時価総額1兆ドル企業に達したのもアップルである。(筆者の予想はアマゾンだったが見事に外してしまった…)

フェイスブック

フェイスブックは世界中でおよそ20億人の人々と関係を持っている。

人々は毎日35分フェイスブックに費やすが、これはネット接続している6分の1、モバイル機器を使用している5分の1に相当する。

日本ではFacebookは今となっては利用している人は少ない(40過ぎのおっさんぐらい?)が、フェイスブックの1ブランドであるインスタグラムは若年層を中心に爆発的な人気を誇っている。

これだけ世界中の人々に浸透しているSNSは他にないのではないか。

フェイスブックの特徴は、マーケティングのファネルの最上部にあたる認知の段階に大きな影響を及ぼすことだ。

皆さんもフォロアーが食べているお菓子を自分も購入してみたり、同じ場所に旅行した経験があるのではないだろうか。

まさにSNSを通して物事の存在に気付き、自分の行動を起こしている証拠だ。

しかし今までこの役割を担っていたのは、テレビや雑誌、新聞などのマスメディアに限られていた。

これらのマーケティング戦略2つに分類できる。

一つ目が、テレビCMや駅前の巨大広告といった、規模性に特化したものだ。

もちろん放送する時間帯や番組の内容、場所などを踏まえてある程度のターゲティングは行うが、一人一人のニーズを汲み取っているわけではない。

いわば数撃ちゃ当たる戦法だ。

二つ目が、専門雑誌やダイレクトメールといった、確実性に特化したものだ。

時間をかけて入念にターゲット層を絞り込み、彼らのニーズを最大限満たそうとするが、勿論大多数の人々には気付かれない。

いわば一点集中スナイパー戦法(造語)だ。

対してフェイスブックはどうだろうか?

フェイスブックは、ユーザーの過去の投稿や“いいね”の動向を大量に分析することにより、ユーザー各々のニーズを正確に見出し、最適な情報を提示することができる。

平たく言えば、一点集中スナイパー戦法よりも圧倒的に高度な情報を得た上で、数撃ちゃ当たる戦法よりも圧倒的に多くのユーザーに対してマーケティングを行うことが可能なのだ。

つまりフェイスブックは、これだけの規模を擁しながらも一人一人に適切なアプローチをかける、まさに質と量を体現した究極のメディアなのだ。

グーグル

グーグルは世界中から集まるあらゆる疑問に一瞬で答えてくれる。

グーグルの世界的な検索エンジンシェアは、パソコンにおいて89%スマートフォンにおいて94%と他社の追随を許さない。

なぜこれほどまでに人々からの信頼を得ることができたのか。

理由は2点ある。

1つ目が、上品でシンプルなホームページだ。

例えば日本で比較的使われるYahoo!検索であれば、下にはズラリと広告やニュースが並んでおり、少々煩わしく感じることもある。

しかしGoogleは違う。

そこにあるのは“Google”という5文字と検索窓のみであり、極めてシンプルな構造となっている。

何千億とお金を積もうとも、そこに広告を出すことは誰1人としてできないのだ。

2つ目が、検索結果が広告の影響を受けないオーガニック検索の存在だ。

グーグル検索では、企業の広告枠には全て「広告」という文字が入り、明確に区分されている。

それ以外はGoogleの検索アルゴリズムにより、ページの関連性や有用性、引用の専門性など様々な要素を検討した上でランキング付けされて私たちに届けられる。

ゆえに人々は安心してGoogleから知識を得ることができるのだ。 

GAFAの闇の側面

さて今までは、GAFAの光の部分を紹介してきた。

皆さんもGAFAの凄さを改めて実感し、好感度が爆上がりした人も中にはいるだろう。

しかし物事には必ず表と裏があるように、GAFAにもぱっと見ては分からない裏の姿がある。

以降GAFAのブラックな一面を覗いてみよう。

アマゾン

人々から職を奪う

アマゾンでは、ロボットによる倉庫の自動化が急ピッチで進んでおり、すでに20万台以上のロボットが世界中の工場で稼働しているという。

ここ日本においても、今年10月には国内で2番目となるロボットを導入した物流拠点が大阪茨木市に開設されている。

ロボットの導入により効率性が上がり、ますます低価格で商品を提供できるようになる。

これは我々消費者から見ると、理想的なシチュエーションかもしれない。

でも、従業員側の視点から捉えるとどうだろうか?

ロボットは、これまで人間が手作業で行っていた作業をより早く正確にこなすことができる、いわば人間の上位互換のような存在である。

当然従業員の仕事は縮小されていき、減給はもちろんのことクビだって宣告されかねない。

幸い今の時点では、ロボットの導入による大幅なリストラが実施された事例は存在しないが、今後どうなるかは未知数だ。

いずれは人間の仕事がなくなると言う識者も多く、アマゾンはその最先端を行く存在としてみなされている。

小売業者の淘汰

アマゾンは現在、実店舗の拡大を進めている。

アマゾンが運営する実店舗であるAmazon Goは、すでに2018年1月にシアトルでオープンし、2019年8月現在全米で15店舗が展開されている。

Amazon Goの特徴は、客がレジを通ることなく商品を購入できることだ。

小銭を取り出す必要はなく、長蛇の列にわざわざ並ぶ必要もない。

客はただ棚から好きな商品を手にとって、そのまま持ち帰るだけでいい。

あとはアマゾンが、持ち去った商品の合計金額を自動的に計算してクレジットカードに反映させてくれる。

実に素晴らしい。

しかし、もしAmazon Goの拡大が順調に進めば小売業界はどうなるだろうか。

正直こんな便利なお店が近くにあれば、誰しもが行きたがるだろう。

これには、長年小売業界の絶対的王者として君臨してきたウォルマートといえども安泰ではない。

実際ウォルマートAmazon Goに相当な危機感を感じているようだ。

アマゾンがホールフーズを買収して実店舗を手に入れた同じ日に、ウォルマートは強力なマルチチャンネルのモデルを持つ会社を買収し、アマゾンと競う姿勢を見せている。

アマゾンは既存の小売企業の生命を奪いかねないのだ。

アップル

社会的責任の欠如

アップルは莫大な収益を得ている。

2019年第三四半期の決算によると、純利益は100億ドルと桁違いの数値を誇っている。

そんな膨大なキャッシュを溜め込むアップルに対し、筆者は教育のために使うべきだと主張する。

アメリカの大学は授業料が著しく高く、富裕層や低中所得層の極めて優秀な一部の層にしか門戸は開かれていない。

アメリカ上位20%の世帯の子どもの88%が大学に入学する一方で、最下層の世帯では僅か8%しか入学できないという。

十分なブランド力と財力を持つアップルは、オンラインでの講義配信システムと実際のキャンパスの両方を備えるだけの余裕があるのだ。

現状のアメリカの教育業界のビジネスモデルを破壊する役目をアップルが担うべきだというのが筆者の主張だ。

いや待て待て

流石にこれには同意しかねる。

筆者はアップルをボランティア協会と勘違いしていないだろうか?

なぜアップルが採算度外視でこんな重荷を担わされなければならないのか。

ちなみにアップルの現CEOであるティムクックは、慈善活動に積極的であることで有名だ。

昨年には、ある慈善団体に時価総額5億5千万円相当のアップル株を寄付したとされるほか、将来的には自分の全財産を寄付する方針だそうだ。

フェイスブック

社会を分断する

フェイスブックの強みは、圧倒的な規模性とターゲティング能力だ。

私たちがフェイスブックを利用すればするほど、フェイスブックにはデータが蓄積されていき、より一人一人のニーズに適した広告配置やニュース発信が実現されていく。

このアルゴリズムは、知りたい情報を自分で探すことなく自動的に入手できるために楽ではあるのだが、負の側面もある。

それは、私たちが偏った情報しか認知できなくなり俯瞰的な物の見方を失うことだ。

フェイスブックは、ある人の投稿を数十件チェックすることで、その人がどのような思想の持ち主かを判断することができる。

より具体的に言えば、Aさんが“いいね”をつけた投稿を150回見れば、フェイスブックはAさんの配偶者よりもAさんを理解でき、300回見れば、Aさん自身よりも理解することができるという。

これは中々恐ろしい事態である。

例えば、あるフェイスブックユーザーのBさんは、政治的には無関心であるが、周りに流されて何と無く自民党を支持している、若干右寄りな中立派だと仮定しよう。

もちろん沖縄の基地反対運動を非難したり、森友問題で首相を擁護することも無い。

あくまでも無関心である。

しかし、Bさんのフォロアーに右寄り勢力が何人か存在し、Bさんが友達の投稿に何の気なしに“いいね”を付けていたらどうなるか?

フェイスブックはすぐにBさんを右翼と結びつけ、Bさんの画面上に大量に右寄りのニュースや広告を投下していく。

Bさんのフェイスブック上には、“中国崩壊”、“朝鮮学校無償化反対”、“黒歴史民主党政権”などのタイトル記事がズラリと並び、タイムラインは百田尚樹竹田恒泰などの意見で埋め尽くされていく。

するとBさんはどうなっていくか?

おそらく偏った情報に視覚が支配され続けることで、Bさん自身も次第に右側へ誘導されていくだろう。

初めは中立に近かろうと偏った情報の大洪水に飲まれていけば、いずれ思想は偏る。

一年後には立派な右翼活動家が出来上がる。

全ては単純な二極化を行い、偏った情報しか出さなくなるフェイスブックアルゴリズムのせいだ。

なぜこんなにも極端なことをフェイスブックは行うのか?

理由は、フェイスブック収益に直接的に結びつくクリック数にしか興味がないからだ。

左寄りの記事や中立的なコラムなど、クリックされずに何の利益も生まないものは配置したくないのだ。

フェイスブックの辞書には、良心やバランスといった文字は存在しない。

有るのは金だけだ。

念の為言うと、これは勿論逆も然りである。

若干左寄りな穏健派も、フェイスブックにかかれば造作もない。

1年後には「米軍基地は今すぐ出ていけ!」などとリアリティーのない言葉を声高に叫び、理想主義に心酔する立派な左翼活動家の出来上がりだ。

つまり私たちが情報の信ぴょう性に常に疑いをもち、意識的に幅広く情報を集めない限りは、簡単にフェイスブックの餌食となる恐れがあるのだ。

挙げ句の果てには、フェイスブックという高々1社の動向によって、社会全体が2つに分断されてしまう恐れさえあるのだ。

責任回避

またフェイスブックニュースメディアとしての責任を担うことを拒む。

本来ニュースメディアは、真実の追求や権力の監視といった社会的な役割を担うべきだが、フェイスブックはその責任を完全に放棄する。

金にならない面倒ごとなど負いたくないのだ。

フェイスブック側の言い分としては、フェイスブックは単なるプラットフォームに過ぎないから真実を判断することなどできないと言うことらしい。

しかしフェイスブックが毎日膨大な人数にニュースを提供している現状を踏まえれば、そんな言い訳は通じない。

掲載するべきニュースとそれに値しないニュースをきちんと見極めることに対し、もっと経営資源を割くべきである。

Google

情報の一極化

Googleのサービスは極めて広範囲に渡る。

Googleマップにより世界中のあらゆる場所のデータを集め、Googleスカラーにより世界中のあらゆる論文を収集し、Googleライブラリーによりあらゆる報道データを集めている。

このように世界中の知識がGoogleという1つの会社に集中することは、実は非常にリスクが高いことだ。

ハッキングにより個人情報が大量に盗まれるリスク、許可なく情報が渡されるリスク、一国の主要な情報が抜き出され悪用されるリスクなど、挙げればキリがない。

それゆえGoogleは常に様々な国・地域で独占禁止法違反の訴訟を起こされており、特にEUではGoogleへの風当たりが年々強まっている。

GAFA全体の闇

税金逃れ

本書では記されていないものの、GAFAが抱える問題として重大な論点となっている租税回避について申し上げておきたい。

近年GAFAは、アメリカや欧州、日本等の消費国に対して十分な税負担を行なっていないと非難されている。

なぜそんなことが可能なのか?

答えは、GAFAのビジネスモデルに現状の法整備が追い付いていないからだ。

GAFAのビジネスモデルを一言で言えば、インターネットを通して国境を越えたサービスを提供することだ。

それはつまり、消費国に事業所や工場といった“恒久的施設”(PE)を設ける必要がないことを意味する。

したがって従来PEを根拠として法人税を課していた消費国は、GAFAのビジネスモデルに対応できずに法人税を課す手段を失ってしまったのだ。

またGAFAは有形資産を殆ど持たない。

それゆえ、巨額の利益をタックスヘイブンと呼ばれる税率の低い地域に留保して、消費国の税負担を回避することが可能である。

OECDの試算によると、世界の法人税収の 4〜10%に相当する1000億〜2400億ドルにも及ぶ税負担が回避されており、消費国は新たなスキーム作りに追われている。

少数の支配者と多数の農奴が生きる世界

最後に筆者はこう結論付けている。

GAFAによりもたらされるのは、少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」

GAFA全体の時価総額を合計されるとフランスのGDPに匹敵する途方もない金額になる一方で、GAFAで働く人数は合計41万人と僅かしかいない。

例えばフェイスブックの従業員数は1.7万人だが、これはフェイスブック時価総額の半分にも満たないディズニーの従業員数の10分の1だ。

つまりGAFAに社会の最上層部が集まり、彼らが莫大な富を享受する一方で、残された大多数がGAFAの支配の下で細々と生活を続けていくしかない運命が迫ってきているのだ。

まとめ

さすがに“世界最高のビジネススクール教授50人”にも選出された人物の著書であるだけに、GAFAの実態や本質的意義に踏み込んた読み応えのある書物であった。

筆者の実体験に基づく描写ニューヨークタイムズ社幹部としての組織改革など)も非常に面白く、実社会を理解する上でも大きな手助けになるだろう。

またネクスGAFAとして紹介されたいくつかの企業(アリババウーバーなど)の強みや課題点についても経営者としての観点から知ることが出来、非常に参考になった。

最終章では、GAFAが創り出した今後の世界でどう生きるべきかを存分に語ってくれているので、これから社会に出ていく人々にも大いに参考になるのではないか。

この本の対象者としては、ビジネスマンのみならず大学生(文系理系問わず)や知的好奇心旺盛な中高生など幅広く網羅している。

GAFAには普段大変お世話になっているが、その実態や裏側が表に出ることは殆どない。

是非、年末という絶好の機会に本書を手に取り、GAFAの真髄をじっくりと堪能してほしい。

正直読んで得しかないだろう。

ただ最後に注意点として一つ申し上げたいことがある。

それは、著者がアメリカ人であるゆえに例として挙げられている企業の殆どがアメリカ企業であることだ。

さらに常識や慣習もアメリカ人に馴染みのあるものであるため、日本人の私たちにとっては若干わかりにくい。

従って例がよく分からない際には、適宜自分の知っている企業や言葉などに置き換え、噛み砕いていた理解をしていってほしい

イオンのマスク禁止令が炎上した根本的理由

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はじめに

先日イオングループは、従業員が接客時にマスクを着用することを禁止しました。

 

従業員への告知文によると

・マスク着用により表情がわかりにくくなる

・客とのコミュニケーションの妨げになる

・マスク姿が客に不安感を抱かせる

等を理由にして、従業員のマスク着用を原則として禁止したそうです。

 

この決断に対してSNS上では批判の声が圧倒的に多く(分析ツールによるとネガティブな反応が9割)、イオングループは厳しい立場に置かれています。

一体なぜそこまで多くの人々からの反感を買ったのでしょうか。

 

根本的原因は何か

twitterやニュース記事のコメント欄を見る限り、批判する人々の意見としては大きく分けて2つあります。

衛生上の観点から従業員のマスク着用を認めるべき

会社が従業員の行動を制御すべきではない

この内、今回の決定を大々的なニュースに至らしめた要因であるのは後者であると私は考えています。

一部のクレームに屈して従業員の選択の自由を奪ったこと、即ち従業員が客よりも下等な立場にあるとイオングループがみなしたことに多くの人々が批判の声をあげたのです。

イオングループは、何万人といる自社の従業員の健康よりもクレームを入れた極少数の客が得る僅かな満足感を優先させました。

日本のサービス業の象徴とも言える、“お客様は神様だ”という精神を忠実に実現しており、その時代錯誤な姿勢が多くの人々から嫌悪されたのです。

 

お客様は神様だ

この考えは、昭和〜平成初期においては絶対的なものであり、日本のサービスの質の高さを証明するものでもありました。

しかし平成半ば〜現在にかけてこの存在意義に疑問符がつきはじめます。

その理由として、少子高齢化や人口減少により労働力不足が現実味を帯びてきたことが挙げられます。

これにより労働者の需要が高まり地位が向上していくとともに、労働生産性という概念が重視され始めて過剰なサービスが淘汰される時代に突入したのです。 

 

労働生産性

労働生産性とは、単位時間当たりに各人が産み出す付加価値の総量を指しています。

この概念が日本において重視され始めたのはここ最近のことです。

戦後〜高度経済成長期には、日本は右肩上がりで人口が増加していたため労働生産性など意識せずとも圧倒的な経済成長を遂げることができました。(GDP=生産人口×労働生産性

しかしバブル崩壊後に人口減少社会に突入すると、一変して労働生産性というワードが声高に叫ばれるようになりました。

生産人口が増えるどころか急激に減少していく中、労働生産性を上げていかないことには日本経済は衰退する一方だからです。

政府も近年ようやく労働生産性の重要性に気づき、今年4月には働き方改革関連法を整備して人々の生産性を向上させるべく舵取りを始めました。

生産性を上げていこう、というこの社会的な風潮は当然サービス業にも届いています。

過剰なサービスや無料の“おもてなし”を廃止して、客と対等な立場で接しようとする会社も現れてきました。

従業員と客はモノとカネの交換をするだけの関係であり、そこに上下関係など存在しないので当然っちゃ当然ですが…

 

時代を逆行するイオン

そんな世間の動きなど全く気にすることなく、イオングループは“お客様は神様だ”という従来の精神を貫いてしまったのです。

イオングループは小売業界の雄とも言えるほどの規模を持つ巨大グループであり、その影響力は計り知れません。

本来ならば時代をリードしていく立場であるイオングループが、事もあろうに時代を遡る姿勢を見せたことで多くの人々から失望されたのです。

 

イオングループが取るべき解決策

では今後イオングループはどのような対策をとるべきでしょうか。

まず間違いなく言えることは、時代に逆行する今回の規定をすぐさま撤回することです。

これほど批判を浴びても12月27日現在未だに撤回を公表していません。

何を躊躇っているのか理解に苦しみます。

確かにマスク着用により従業員と客のコミュニケーションに支障が生じているのは事実なのでしょう。

しかしそうであるならば、該当する従業員各々に対して、店長などが注意喚起を行って改善していくべきではないのでしょうか。

  

「何人いると思ってるんだ、実現可能性がない」

 

↑このように思われる方もいるでしょう。

でもよく考えてみてください。

果たしてそれほど何人もいるでしょうか?

以下これを式で表してみました。

 

マスク着用で意思疎通に不便が生じる従業員に遭遇する機会数

=イオン全従業員×マスク着用したことのある従業員の割合×マスク着用時における客との平均交流回数(一人当たり)×意思疎通に不便が生じる確率

 

↑をご覧になってどう思われるでしょうか。

私は限りなく0に近いと感じます。

そもそもイオンで従業員とコミュニケーションを取りますか?

少なくとも私はありません。

個別に対応していくことは十二分に可能であると思います。

 

まとめ(日本の現状)

以前よりかは大分マシになったものの、まだまだ日本では“お客様は神様だ”という意識が客側にはもちろんのこと、店側としても依然として存在します。

私はある小売チェーン店で学生バイトをしているのですが、そこにはしばしば態度が大柄な客が来店します。

ある40過ぎのおばさんは閉店5分前に来店し、閉店時刻を過ぎても焦るそぶりをまるで見せずに堂々と買い物を続けます。

時には閉店時刻を20分過ぎてから会計をすることさえあります。

私はバイトし始めて二日目に彼女に遭遇し、その際に閉店時刻を過ぎている旨を伝えたのですが、彼女からは「うっさいねん、こっちは客やぞ!」と大声で逆ギレされてしまいました。

後から店長に聞いた話だと、そのおばさんは常にこのような行動を繰り返す常連“客”だそうです。

驚いたのがおばさんに対する店の方針です。

いくら迷惑でも客であることに変わりはないので、おばさんが買い物を終えるまでひたすら従業員一同待ち続けるそうです。

私はこれを聞いて驚き呆れてしまいましたが、まだまだこのような店が日本にはたくさん存在するのが現実なのでしょう。

風潮というのは一旦根付いてしまえば、それを取り除くのは非常に難しいです。

日本において客と従業員が対等な立場で接するようになるには、まだまだ多くの時間がかかります。

いつか実現することを願うばかりです。 

 ↓本日更新しました。良ければどうぞ

www.tanukiqi.com

 

センター日本史で8割とる方法【ゼロから2ヶ月で100点とった京大生】

 

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センター試験まで残り1ヶ月を切りましたが、受験生の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

今回は社会科目に苦戦する受験生のために、残り1ヶ月でセンター日本史で8割を取る方法を記事にしました。

日本史が伸び悩んでいる受験生は勿論のこと、地理や倫政に手こずり放棄寸前の方も対象です。

地理はどれだけ勉強しても8割すら難しいです。

しかし日本史は、1ヶ月という短期間でも正しく勉強さえすれば8割程度なら確実に取れます。

現に私は1日2時間の日本史対策を11月中旬から開始し、12月中旬には模試で安定して9割を取れるようになり、本番では見事100点を取ることができました。(親の猛反対を押し切り地理から変更した甲斐がありました)

日本史に多くの予備知識を持っていたわけでもなく、特段賢くもない私がなぜそんなことを出来たのか。

それは私が、正しい方法で最高にコスパの良い学習をしたからです。

以降私が実際に行った勉強手順を紹介します。

参考書は下記で紹介する2冊(上下2巻は1冊としてカウント)と過去問だけで十分です。

センター社会で8割を取りたい方は是非ご一読ください。

 

学習手順

1.日本史との距離を縮める

何事も得意になるためには、好きになってしまうのが1番の近道です。

皆さんも自分が好きな科目と得意科目は一致しているのではないでしょうか。

その調子でまずは日本史も好きになってしまいましょう。

では日本史を好きになるためには具体的に何をすれば良いか?

答えは、分かりやすく面白い本を読むことです。

最初から事実が単調に羅列している参考書や単語帳を無理やり頭に詰め込もうとしても、挫折するに決まってます。

まずは勉強という意識は持たずに、スッと頭に入ってくる分かりやすい本を読んで日本史と仲良くなりましょう。

そこで僕がお勧めしたいのが、↓の本(上下二巻)です。

 

 
 
「若きカリスマ」として爆発的人気を誇る竹内睦泰先生が著した本です。

重要事項を分かりやすく説明しているだけでなく、歴史の面白い裏話なども随所に紹介されており、楽しみながら全体的な大まかな時代の流れをつかむ事が出来ます

点数に直結する本ではありませんが、日本史の面白さに触れつつ全体像を把握できる貴重な一冊です。

もちろんこの段階では無理して人の名前や出来事を覚えなくて構いません。

大切なのは、日本史が楽しいものだと思えるようになることだからです。

 

 2.センター過去問に一度トライしよう

↑の「超速日本史の流れ」を読んだら、次は一度過去問に取り組んでみてください。

日本史は20分程度で終わるので気軽にできると思います。

しかしやったら分かるのですが、この時点では正直全然解けません。

多分3割も取らないでしょう。

でも心配はご無用です。

まともに勉強してないのだからそれは当然であり、実際僕だって全然出来ませんでした。

じゃあどうして過去問を解くのか。

それは、センター日本史がなんたるかを全体的に理解するためです。

敵を攻略するには、まず敵の全貌を知る必要があります。

センター日本史を一通り解くことで、遠くに薄っすらとですがゴールを把握することができるのです

個人的には解説が詳しい黒本をオススメします。

 

 

3.過去問をきちんと復習しよう

もちろん全然解けないのは問題ないですが、復習はきっちりと行ってください。

その際、過去問の解説を読むだけでは不十分です。

過去問の解説は僅かですし、問題は1つ1つ独立しているために前後の繋がりなどが分かりにくいためです。

そこで過去問を解き直す際に是非手元に置いといてほしい参考書(上下二巻)があります。

それが↓です。

 

東進ハイスクールの人気講師である金谷俊一郎先生によって著された本です。

この本の良い点は、余計なことは一切書かずにセンター試験で必要なことのみが簡潔にまとめられている点です。

過去問を復習する際には、過去問の解説文の他に問題に該当する部分をこの本でも探して読んでみてください。

驚くことにほぼ全ての問題が網羅されており、この一冊を完璧にすればセンター試験で高得点が取れることをはっきりと実感することができます。

また物事の前後の繋がりや関連するワードなどにも目を通すことで、自分自身の理解を深めてください。

 

4.「センターはこれだけ!金谷俊一郎の日本史B」を一通り学習しよう

さて過去問の復習をしっかりと終えたら、もうゴールが大分くっきりと見えてくると思います。

その後は、「センターはこれだけ!金谷俊一郎の日本史B」を一通り読んでみてください。

近代以前と近代以降で上下に分かれていますが、どちらから始めても構いません。

自分が興味ある方から取り掛かりましょう。

すでに「超速日本史の流れ」で日本史を大まかに理解できているためにすっきりと頭に入ってくると思います。

ここでは出来事の前後の繋がりを意識しながら読み進めるといいです。

もちろんセンター日本史は全てマーク式なので、漢字を練習する必要はありませんし、語句を一字一句正確に覚える必要もありません。

5.学習範囲を絞ろう

そして一通り読み終えた後にすべきことが、学習範囲を絞ることです。

全体を通して学習することで、あなたにとって得意な時代や苦手な時代が分かってくると思います。

例えばもしあなたが鎌倉時代が得意であれば、「センターはこれだけ!金谷俊一郎の日本史B」の鎌倉時代の箇所を重点的に学習して下さい。

この際にはしっかりと事件の内容や繋がりなども覚える必要があります。

繰り返しますが、人物や事件の名称は正確に覚えなくても構いません。

大事なことは、中身の理解を深めることです。

そしてある程度この本の内容を理解できたら、今後は鎌倉時代に関する部分のみを過去問で解いて下さい。

想像以上に問題を解けることを実感でき、自信がつきます。

場合によっては数年分の特定箇所の問題を解いてみてもいいです。

また復習は非常に大事です。

正解した問題であっても、過去問の解説およびこの本の該当箇所をしっかりと読んで理解を深めてください。

 

6.ひたすら演習と復習を繰り返し、知識を定着させよう

あとはひたすらインプットとアウトプットの繰り返しです。

学習範囲を徐々に広めていきましょう。

演習→復習→演習→復習のサイクルを繰り返していくことで、点数はどんどん上がっていきます。

問題演習も過去問だけでなく、予備校の模試なども活用して下さい。

 

また復習の際にオススメしたいのが、「センターはこれだけ!金谷俊一郎の日本史B」を自分だけのオリジナルな本にしてしまうことです。

問題演習を通して新たに得た知識や気づいた視点などを積極的に本に書き込んでいきましょう。

足りない知識を補うことができる上に、手を使って書き込むことで記憶の定着にも繋がります。

ただし注意点としては、書き込む内容を本当に重要な知識のみに限定することです。

模試によっては本番では明らかに出題されないような重箱を突く問題が出ます。

そんなものを覚えるのは明らかに無駄です。

書き込む際には、模試などで何度も出題されている知識や自分なりの解釈などに絞って下さい。 

 

まとめ

以上の勉強法を真面目に実践すれば、本番では確実に8割以上を獲得することができます。

センター日本史は努力した分だけ点数に反映される科目です。

今日から始めればまだ間に合います!

是非残り1ヶ月頑張ってみて下さい!

 

OB訪問は廃止するべきか

 

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はじめに

ここ最近の相次ぐ不祥事により、OB訪問の存在意義を問う声が強まっています。

今年の春、住友商事社員がOB訪問マッチングアプリで知り合った女子大生に性的暴行を加えたとして、準強制性行と窃盗の疑いで逮捕されました。

また同時期には、大林組社員が女子大生にリクルーターとして接触し、不適切な行為をしたとして逮捕されました。

このようにOB訪問を利用した悪質な犯罪が顕在化され始めたことで、OB訪問の必要性が疑問視され始めています。

今回は“OB訪問は廃止するべきか”というテーマに、今年就活を終えた学生の立場から考えていきます。

テーマの具体化

まず“OB訪問は廃止するべきか”というテーマは少し漠然とし過ぎているので、もう少し具体性をもたせます。

OB訪問には、以下2つの方法があります。

・大学のキャリアセンターや知人の紹介などを通したアナログで繋がる方法

・OB訪問マッチングアプリ(以下マッチングアプリと表記)を利用したデジタルで繋がる方法

従来の就活では前者のアナログな方法が利用されてきましたが、ここ最近ではHELLO,VISITSビズリーチ・キャンパスといったマッチングアプリが整備されてきたことで後者のデジタルな方法が定着しつつあります。

前者のアナログな方法においては、規制する手段は正直言ってありません。

誰が息子を同僚に会わせようとする父親の行動を止めることができるでしょうか。

一方後者のデジタルな方法であれば、規制の手段はいくつかあります。

例えば法整備によりマッチングアプリ運営者を認可制にする、規制を強化する、運営者が自主的にガイドラインを作成するなど

従って今回は、マッチングアプリを廃止するべきか”というテーマに絞りたいと思います。 

サービスの存廃を定める明確な基準

冒頭のようなニュースが流れることで

マッチングアプリが犯罪の温床になってるのは明白であり議論の余地はない、即刻廃止するべきだ」

という↓のような声が早速聞こえてきそうです。

 

確かに冒頭で紹介した2つの事件はいずれもマッチングアプリを介した犯罪です。

ですがよく考えてみてください。

そもそも何1つ問題のない、完全なサービスなどこの世には存在しません。

何か問題が生じたときに、その背景を確かめもせずに安易にサービスを廃止させるべきだと主張するのは、あまりにも短絡的過ぎるのではないでしょうか。

冷静に問題点を洗いざらい導き出し本質をきちんと見極めた上で、存廃を決定するべきです。

そのためにまずサービスの存廃を定める明確な基準を定めていきます。

どのような基準を設ければ良いでしょうか。

僕は以下のような基準を考案しました。

 

(a)サービスが存在することで対象者が享受するメリットの総量

(b)サービスを存在することで対象者が被るデメリットの総量

(a)>=(b)ならば存続すべき

(a)<(b)ならば廃止すべき

 

少し分かりにくいので、具体的に説明します。

例えば“警察”というサービスを考えてみてください。

警察には”地域の治安維持”という役割があり、それゆえに対象者である僕たちは日々の安全というメリットを享受できます。

ここで警察官が不祥事を起こしたニュースが流れたとしましょう。

窃盗でも詐欺でもなんでもいいですが、このニュースを見た多くの人々が犯人が警察官であるだけに強い憤りを感じると思います。

しかし間違いなく言えることが1つあります。

それは、絶対に警察組織を廃止する方向に議論は進まないことです。

なぜならば日々警察が僕たちに与えてくれるメリットの大きさに比べれば、警察の何件かの不祥事などは見過ごしてしまえるほど小さなデメリットであることが明白だからです。

つまりこの場合、(a)>>>>>(b)が成り立っているために存続が決定されるのです。

マッチングアプリの存廃を定める基準

マッチングアプリの存廃をこの基準を用いて考えると以下のようになります。 

 

(a)マッチングアプリが現状あるために対象者が享受するメリットの総量

(b)マッチングアプリが現状あることで対象者が被るデメリットの総量 

(a)>=(b)ならば存続すべき

(a)<(b)ならば廃止すべき

 

加えて対象者を明確に定めておきましょう。

マッチングアプリの利害関係者は主として運営企業・参加企業・社会人・学生の4者がいますが、ここでの議論においては対象者を学生に絞ることにします。

なぜならば、就活においては第一に学生の立場を考えるべきだからです。

ではこの基準に沿って考えていきたいと思います。

(a)マッチングアプリがあることで学生が享受するメリット 

OB訪問においてマッチングアプリを利用することで、今までのアナログな方法で起きていた以下2点のデメリットが解消されました。

手間隙かけずに気軽にできる

従来のアナログな方法では、OBを探すのにも一苦労でした。

例えば部活やサークルに属していない人はキャリアセンターに行って名簿から直接電話をかけて交渉する必要がありました。

また名簿上の志望企業にOBが存在せず泣く泣くOB訪問を諦めることなどざらにあったでしょう。

しかしマッチングアプリという仲介者が出現したことで、アプリをインストールしてプロフィール入力さえ済ませれば、あとは色々な企業からOB・OG選び放題です。

ものによってはもはや同じ学校のOBでなくとも会えるものすらあります。

会いたい人を自由に選べる

従来のアナログな方法では、事前にどんな人と会うのかは分からないことが多いです。

部活やサークルの先輩でしたら別ですが、キャリアセンターの名簿上のOBには卒業年度以外何の情報もありません。

従って実際に会ってみても、自分が知りたい情報を持っている人ではなく時間の無駄となることもあったでしょう。

しかしマッチングアプリではプロフィールを充実させているOBも比較的多いので、たくさんの候補の中から自分に適したOBを見つけ出すことも可能です。

そのため本番では、安心して臨むことができる上に事前にいくつかの質問を用意しておいたり、OB側が質問の答えを用意しておいてくれることさえあります。

(b)マッチングアプリが存在するために学生が被るデメリット

やはり最も深刻な問題は、女性へのセクハラ問題です。

犯罪として表面化したのは冒頭の2件だけですが、これらは氷山の一角に過ぎません。

先日12月2日には、東京大学早稲田大学慶應義塾大学上智大学創価大学国際基督教大学の学生らによる団体「SAY」のメンバーにより就活のセクハラ対策を訴える記者会見が行われ、そこではマッチングアプリでの被害も告発されました。 

OB訪問マッチングアプリで出会った企業の人から「就活を手伝うよ」と言われ性的な関係を求められた人もいたそうだ。さらに、友人にも同様の発言をしていることが後日発覚するなど、アプリを通じて同一人物が複数の学生に性的な関係を求めている実態もあるという。

出典:大学は就活セクハラ対策を現役学生らが訴え。「前例がない」とスルーされた過去も | BUSINESS INSIDER JAPAN

また同様の被害はSNS上でも多数発信されています。

 

ただ注意しなくてはならないのが、ここではマッチングアプリを使用するからこそ生じるセクハラ問題について議論すべきであることです。

テーマはあくまでもマッチングアプリの存廃であるため、マッチングアプリに理由がない他のセクハラ(例えば面接中のセクハラ発言やインターン中の不適切な行為など)は明確に切り離す必要があります。

持論

以上を踏まえて僕の導いた結論が以下の通りです。

“OB訪問の存在意義に疑いようはなく、それを活性させるマッチングアプリは廃止の必要は全くない、ただし何らかの規制は必要“。 

これを見た皆さんの中には、

「廃止の必要がないということは、先程あげた基準(a)>=(b)をお前は説明することが出来たのか」

と思われた方もいると思います。

しかし正直これを証明することはできません。(大口叩いてすみません)

なぜならば僕には、マッチングアプリによりどれ程の人がどれ程のメリットを得ているのか、どれ程の人がセクハラ被害を受けておりどれ程の精神的苦痛を受けているのか等を明確に定量化して計算することができないからです。

そしてこれはおそらく誰一人としてできないでしょう。

ではなぜ、廃止の必要がないと断言できるのでしょうか。

その理由は、マッチングアプリに規制をすることで将来的に(a)>=(b)を自明にすることができると考えているからです。

時系列という視点

実は先ほど挙げた基準には、時系列という視点が欠けているのです。

例えば日韓関係を例にしてみましょう。

今の両国の関係は戦後最悪と呼ばれるほど悪く、日本では年々嫌韓感情が高まっています。

このような状況の中で一部の右寄りの人々が主張する、“韓国とは断交をすべき”という意見は正しいのでしょうか。

これは一見すると、ただの暴論に思えます。

いくら仲が悪いといっても韓国が日本にとって重要な貿易相手国であることはれっきとした事実であり、断交により民間交流まで停止させてしまえば日本には多大な経済的損失が生じるからです。

しかしここに時系列という視点を突っ込むとどうなるでしょうか。

韓国政府は国家方針として反日政策を取り入れており、政界内でのスキャンダルが発生すると民衆の支持を失わないように意図的に反日感情を高めることも多々あります。

それだけならまだ良いですが、国家間の協定すら平気で破ることがあり正直韓国政府は全く信用できません。

表面上は友好関係を維持しつつも本質的な敵対関係が未来永劫続き日本を苦しめ続けるのならば、いっそ断交するのもアリではないか、と考える人がいるのも正直理解できてしまうのです。(心情的に理解できるだけであり個人的にはやはり暴論であると考えています。)

つまり時系列を考慮することで、必ずしも先程の基準が満たされてなくとも存廃を判断することが可能になるのです。

ここで言いたいのは、マッチングアプリに規制をかけることで将来的に(a)>=(b)を自明にできる可能性があるということです。

これは右辺である(b)マッチングアプリが存在するために学生が被るデメリット、を将来的に小さくできることを意味しています。

より具体的に言うと、適切な規制をかけることで女性へのセクハラ問題を解決に導くことができるということです。

セクハラが生じる根本的要因

具体的な規制の議論に入る前に、セクハラ問題の根本的要因を見つける必要があります。

僕は、“圧倒的に学生が弱い立場に置かれてことで、事態が発覚しずらい状況が形成されていること”に最大要因があると考えています。 

就活というのは、多くの場合圧倒的に社員の方が優位な立場にあります。

内定をチラつかれたり脅し文句を言われれば、逆らえない学生は多いと思います。

誰にも助けを求められずに、事態の発覚がなされないまま闇に葬られてしまった事例は想像できないほどあるでしょう。

実際冒頭の大林組の社員による犯行は、事件発生してから2年も経ってから発覚しています。

従って、“事態の透明化”を念頭に入れた解決策を以下示します。

具体的な規制案

身元確認の徹底

現状マッチングアプリに登録できる社会人には、企業による法人アカウント利用の企業公認ユーザーおよびボランティア社会人による個人アカウント利用のボランティアユーザーの2種類です。

ボランティアユーザーの身元はきちんと確認されていないケースもあり、犯罪につながる恐れもあります。

例えばビジネスインサイダーの記事には、以下のような事例が紹介されていました。

OBマッチングサイトで何度か相談していた人に『俺が人事だったら絶対にとる』『見せるつもりのなかった会社の資料が家にある、君になら見せてもいい』と家に来るよう誘われた。このチャンスはどうしても逃してはいけないとついて行き、その資料を見ながら体の関係を求められた。 その後、その人が会社を半年前に辞めて独立準備中だということを知らされ、どうしようもなくなった(女性、20〜24歳、学生)

出典:https://www.businessinsider.jp/post-185252

 

この悲劇はまさに、マッチングアプリ内での身元確認が徹底していないがゆえに発生したことです。

ボランティアユーザーには登録の際に社員証等の証明書を提示することはもちろんのこと、数カ月ごとに身分確認を実施するなど徹底して再発防止に取り組むべきです。

相談窓口の強化

学生からの相談窓口を設置しているマッチングアプリも中にはありますが、学生からの認知が低く殆ど意見が寄せられることはないと聞きます。

現に僕も就活中は何度もマッチングアプリを使ったことがあるのですが、その存在は知りませんでした。

運営者は相談窓口の設置位置を工夫するなどして、もっと認知度のアップに取り組むべきです。

面会場所・面会時間のルール化

これまで生じている多くのセクハラ被害は、業務後の居酒屋などで酒が入った状況で起きています。

運営側は、夜18時以降の面会であれば場所をオフィス内に限定するように義務付けたり、開始時刻と終了時刻をアプリ内で学生に報告させるなどのルールを作るべきではないでしょうか。

学生ユーザーの匿名でのレビュー機能

あるマッチングアプリでは、レビュー機能を設けているものの企業公認ユーザーに関するレビューは企業の管理担当者が内容を確認してから公開・非公開を判断しているそうです。

つまり企業にとって都合の悪い事実は簡単に揉み消せてしまうこのレビュー機能に果たして意味があるのでしょうか。

全てのレビューを内容に関わらず学生ユーザーに公開するべきではないか、と感じます。

 チャット内容の運営チェック

冒頭の2件の犯罪は、アプリ内チャットで社員が学生のLINEを聞き出したことから始まっています。

OB訪問をするのにわざわざLINEを聞く必要などないため、入手しようとする社員は下心を持っている可能性が非常に高いです。

従ってLINEやFacebookなどの個人的な連絡先を聞いてくる投稿には警告メッセージを送ったり、社員にペナルティを与えるなどの措置が必要でしょう。

最後に

以上マッチングアプリの意義に触れるとともに、現状生じている学生へのセクハラ問題を解決するために運営者が講じるべき規制策について論じてきました。

最後に本筋からはズレますが、OB訪問の意味を履き違えている一部の企業に苦言を呈させてください。

デベロッパーや商社などの大手企業の中には、OB訪問自体を評価基準として利用している企業が一部存在します。

例えばある総合商社では、OB訪問をこなした人数によって学生を評価するほかOB訪問の場において社員に学生一人一人の点数をつけさせています。

これのどこが問題かというと、OB訪問自体が目的化することでOB訪問本来の意義が失われてしまうことです。

本来OB訪問には以下の2つの意義があります。

・学生が本当に話したい社員と話し合うことで自分と社風との相性を見極めること

・通常の選考では聞けないぶっこんだ質問をすることで表には出てこない会社のリアルな一面を知ること

しかし質より量と言わんばかりに会社からOB訪問をこなした人数を評価されることで、自分が求めていない社員に対してもOB訪問せざるを得ない状況が生まれます。(圧倒的な時間の無駄です)

またOB訪問自体に点数をつけられることで、学生は通常の選考のような当たり障りのない質問しかできなくなります。

要するにOB訪問を評価対象とすることで、OB訪問本来の意義が全て消えてしまっているのです。

また僕の体育会の友達の中には、部活の先輩にOB訪問を依頼することで訪問すらすることなく満点をつけてもらっている人もいました。

果たしてこのような形のOB訪問に何の意味があるのでしょうか。

企業はOB訪問の意義を今一度再考する必要があると思います。

 

 

「人生会議」の炎上で考えるべき2つの要素

 

厚生労働省が作成した、「人生会議」の以下のPRポスターが議論を呼んでいます。

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「人生会議」とは、“人生の最終段階において自分の望むことをあらかじめ大事な人と話しておくこと”であり、数年前から厚労省により普及活動が行われています。

その一環として、11月25日厚労省によりお笑い芸人である小藪氏を起用した「人生会議」のPRポスターがネット上で公開されました。

ところが、そのポスターに対してがん患者支援団体などからの非難が相次ぎ、公開後わずか1日で自治体へのポスターの発送を中止する決断を余儀なくされました。

一体何が問題であるのか、お騒がせ厚労省がまた何か不祥事をやらかしてしまったのか?

僕は今回議論すべきポイントは以下2点にあると考えています。

・ポスターへの批判は妥当であるのか

近年SNSの発達により、いわゆる“マイノリティー”と呼ばれる人々の主張が世間に届くようになりました。

それにより時に、“マイノリティー”側の意見があたかも多数派であるかのような受け止められ方がなされるようになり、“マジョリティー”側との衝突も生じ始めています。

今回もその兆候が見られますが、果たしてどちらに理があるのでしょうか。

・なぜ厚労省はわずか1日で撤回したのか

多額の予算を使って作成したポスターですが、わずか1日で白紙に戻りました。

あまりにも脆すぎると思いませんか?

死というセンシティブな話題には批判はつきものですが、まさか厚労省は批判を想定していなかったのでしょうか?

真相に迫りたいと思います。

 

ポスターへの批判は妥当であるか

まず、今回厚労省に真っ先に送られた抗議文を2つ紹介します。

がん支援団体代表者による抗議

BuzzFeed Japanの記事によると、卵巣癌体験者の会「スマイリー」代表者である片木美穂は、厚労省の医政局長や地域医療計画課在宅医療推進室長、PRポスター担当者あてに、以下のような抗議文書を送付しました。

がん=死を連想させるようなデザインだけでもナンセンスだと思いますが、このような強い後悔を感じさせる恐怖感を与えることで本当に「人生会議」をしようと思うのでしょうか?

これを目にする治療に苦慮する患者さんや残された時間がそう長くないと感じている患者さんの気持ちを考えましたか?

そしてもっと患者と話をすれば良かったと深い悲しみにあるご遺族のお気持ちを考えましたか?

患者が旅立つ際に医療機関や在宅の場で立ち会うこともあり、どれだけ家族で話し合っていたとしてもご遺族が「もっと話し合っておけば」と悔やまれ深い悲しみを感じておられる姿を見てきています

 

上記の片木氏の主張を一言でまとめると

”ポスターはガン患者や遺族の気持ちを全く考慮しておらず極めてナンセンス”

と言ったところです。

常に死と直面した方々と寄り添っている方だけに怒りの強さが伝わってきます。

しかし正直僕には違和感しかありませんでした。

まずこの文書を読んで真っ先に感じたのが、

「あれ、このポスターってがん患者向けだっけ」

ということです。

片木氏は冒頭で

 「がん=死を連想させるようなデザインだけでもナンセンスだと思いますが」

と綴っていますが、このポスターを見て死=癌と結びつける一般人は殆どいないのではないでしょうか。

実際このポスターは、小藪氏が死に直面する際に家族と事前に何の話し合いもしていなかったことを嘆いている様子を表しており、癌とは何の関係もありません。

恐らく片木氏は、がん支援団体に従事するがゆえに近視眼的な見方に囚われてしまったのでしょう。

 また最後の3行↓に特に顕著に現れていますが、片木氏は「人生会議」の意味を恐らく理解していません。

患者が旅立つ際に医療機関や在宅の場で立ち会うこともあり、どれだけ家族で話し合っていたとしてもご遺族が「もっと話し合っておけば」と悔やまれ深い悲しみを感じておられる姿を見てきています

人生会議は、まさに将来的に上記で言及されているような人が

「家族ともっと話しとけばよかった」

「伝えたいことあったな」

と後悔することを未然に防ぐための啓発活動であり、その意味がPRポスターに込められているのではないでしょうか。

このような人々に配慮して表現を曖昧にして知っては、本末転倒です。

がん遺族者による抗議

またすい臓がんで夫を亡くした経験のある石森恵美氏も、厚労省に抗議文を送ったといいます。

手紙の内容は分からないですが、BuzzFeed Japanの記事に石森氏への取材内容が記載されているのでその一部を抜粋します。

死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです

小藪さんのファンの子どもたちがこれを見て、誤解してしまうのが怖いです。表面だけみて、笑いや薄っぺらい誤解のもとに患者と家族の関係を捉えてしまったらどうするのでしょうか?

一方で、脅しやネガティブな表現で、人生会議を広めようとしていることも気になります。誰に伝えたいのか、人生会議の主語がこのポスターではわからないこともモヤモヤします。病院などに掲示されて目にした時に、誰が何を誰と話し合うのか、きっと伝わらないでしょう

 

石森氏の発言の趣旨は以下3点です。

・ポスターの外見がふざけており、死にゆく人々への敬意にかけている

・中身の文面も脅しているようだ

・誰に伝えたいのかが分からない

先ほどの片木氏の抗議文と比べるとかなり理解できる部分があります。

確かにどうしても吉本芸人や関西弁にはお笑いという要素が強すぎて、ふざけているように捉える人もいるでしょう。

(これは在京メディアが関西に貼り付けたレッテルも一因としてあると思いますが)

 また小藪氏の心の叫び自体も切羽詰まったものであり、ポスターからだけでは誰に伝えたいのかは分かりません。

でもよく考えてみてください。

このポスターの目的は、死を迎える前に家族ときちんと話し合う必要性を訴えかけたものです。

そして恐らく厚労省の「人生会議」HPを見る限り、このポスターは“予期せぬ死に対してあまり考えたことのない人々”へ向けたものであって、“常に死と巡り合わせである患者”に主眼を置いたものではありません。

無関心な人を動かすには、危機感を煽るなり外見にインパクトを与えるなりしないと効果がありません。

だからこそお笑い芸人である小藪氏を起用して関西弁でまくしたてさせたのでしょう。

また、死にゆく人への敬意に欠けていると言いますがそれを意識しすぎたら何も伝わりません。

↓のような無難なポスターであれば、多くの人々の心には響かないでしょう。

 

 厚労省は発送中止すべきだったのか

結論から言うと、ノーです。

そもそも死というセンシティブな話題の扱いであるゆえに、厚労省も事前に批判は織り込み済みであったと思います。

それなのにたった1日しか持たずに撤回とは情けない限りです。

しかし理由は後述しますが、厚労省にも同情の余地はあると感じます。

なぜたった1日で炎上したのか

突然ですが、 

25日の「人生会議」のポスター公開日に厚労省のサイトに真っ先に飛びチェックしたのはどのような人々だと思いますか?

まず99%の日本人は違います。そもそも知りません。

今回の騒動で初めて存在を知った人が殆どです。

では誰?

僕が思うに、↓の2パターンの方々ではないでしょうか。

・「人生会議」の制作関係者(委託先である吉本興業厚労省担当部署等)

・「人生会議」に元々批判的である外部の人々(がん支援団体等)

 

ではさらに、このうちSNS上で積極的に意見を発信するのはどちらでしょうか。

間違いなく後者の、「人生会議」に元々批判的であった外部の人々です。(前者では、SNS発信は広報に任されおり個人単位では発信しません)

そして当然っちゃ当然ですが、彼らのSNS上の投稿を読む者といえば彼らのフォロアーである遺族などです。

すなわち、フォローする偉大な先生方が右といえば右、左といえば左を向く、いわば彼らのファンです。

もちろん何も考えることなく同調して、自らも批判的な投稿をするでしょう。

そしてその批判的な投稿を見た、特に関心のなかった友人なども何の気なしにリツイートなどで拡散してしまいます。

このように最初は本当に小さな声だったのに瞬く間に大きな声になってしまうのが、SNS時代の怖さです。

正直今回のような賛否両論のあるテーマの発信者にとってはこの上なく厄介な時代でしょう。

とどめを刺したは誰?

では最終的にここまで炎上させた存在は何でしょうか?

答えはメディアです。

今回の報道を見ると殆どのメディアが厚労省に否定的であり、中止を求めるがん支援団体を肯定的に報じています。

「確かにポスターは酷い、訴えたくなる気持ちもわかるよ」

といったように、あたかも“弱者”の視点に寄り添い“強者”の悪事に対抗しているかのように振る舞う記事が実に多いです。

例えば 11月27日配信の以下のAbemaニュース記事の見出しをみてください。

ord.yahoo.co.jp

人生会議」ポスター発送中止 「死ぬことはキレイ事じゃない」若新雄純氏、厚労省に苦言「なかったことにするのは残念」

 

 ↑のような見出しをみると、若林氏がまるで厚労省を全面的に否定しているように感じられます。

しかし実際に記事を読んで頂くと分かるのですが、若林氏が言っていることは全然違います。

趣旨は以下です。

「タブーとされる死への議論へ踏み込んだ厚労省の姿勢を評価したい、ただやるからには批判に惑わされずに最後まで頑張って欲しかった」

 

要するに若林氏は、厚労省の不甲斐なさには喝を入れているものの、「人生会議」の取り組みやPRポスターに関しては肯定的な見方をしているのです。

それにも関わらず、最も重要である記事タイトルに上記のような見出しをつけたしまったことで、読者を大いに誤解させてしまっています。

これを斜め読みした多くの読者が、

「識者だって否定的だからやっぱり厚労省が悪いんだ」

と誤解したことでしょう。

今回に限った話ではないですが、メディアの悪意ある編集により真意が伝わらずに歪曲されてしまうことが多々あります。

さらにタチの悪いことに、メディアの影響力はいまだに健在であるゆえに、誤った認識が加速度的に拡散していって最終的に世論が形成されてしまう恐れだってあるのです。

最後に

今回の「人生会議」の取り組みは、やはり失敗といえるのでしょうか…

 

僕は決して失敗ではないと思います。

確かに反発を受け、わずか1日で発送を中止しまったことを踏まえると失敗といえるかもしれません。

しかし、「人生会議」という取り組みの内容を世間に周知し、今まで死に対して意識することがなかった人々が考えるきっかけを形成したという意味では成功といえるのはないでしょうか。

これは起用された小藪氏はもちろんのこと、「人生会議」のプロジェクトに関わっている吉本興業厚労省の功績です。

小藪氏は、批判的な声に悲観することなく逆に堂々と胸を張るべきです。

 

 

「中国人は採用しません」東大准教授の発言で分かる人文教育の重要性

 

東大特任准教授であり、AI開発などを行う「Daisy代表取締役の大澤昇平氏の”中国人は採用しません”等の一連の書き込みが波紋を広げています。

 

 

上記のような一連の発言に対し、人種差別的ではないかと言う批判の声がネット上で広まり一大論争となっています。

今回炎上したポイントは以下2点にあると僕は考えています。

・国籍を理由とした不採用の是非

テレビ番組内でデーブスペクター氏が

「中国人は10億人ぐらいいるので、何に基づいてそう言うのか説得力が全くないですよ」

とコメントしているように今回の炎上騒動は概ねこちら側に焦点があたっているようです。

ここでは、大澤氏の採用方針の妥当性の是非について検証します。

・発言の必要性

経営者の中には、独自の採用方針を持っている方もいるでしょう。

それが時には妥当な理由なく差別的な判断であることもあると思います。

しかし、多くの経営者はわざわざSNS上でそれを自慢げに公開したりしません。

デメリットしかないことは火を見るよりも明らかだからです。

大澤氏は、東大最年少准教授である肩書きから分かるように特定の分野では非常に優秀な方なのでしょう。

そんな方がなぜ安易に発言してしまったのかについて検証します。

国籍を理由とした不採用の是非

人種差別であるのか 

まずは彼の一連の発言が、人種差別にあたるのかどうかを考えます。

そもそも人種差別とは何でしょうか。

様々な定義がありますが、ここでは2つを見てみます。

 

「人種差別とは、人種、肌の色、国籍または出身部族もしくは信教を理由にして、個人または特定のグループを他の人と異なった方法で不公平な取り扱いをすること」

(1994年に公布された人種差別禁止法による)

 

「人種差別とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。」

(国連で採択された人種差別撤廃条約による)

 

要するに、人種差別とは特定の個人や集団に対して合理的な理由なく不利益を強制する行為を指します。

ここで重要になるのが、大澤氏の採用基準が合理的な理由を有しているか否かです。

合理性があるのならば、それは人種“区別”となり人種差別とは言えません。

今回のケースはどうでしょうか。

 

大澤氏が中国人を採用しない根拠としてあげているのが、中国人の生産性の低さです。

大澤氏はテレビ番組の取材で以下のように答えています。

「およそ200人の雇用データを分析した結果、中国人のパフォーマンスが悪いことが統計的に明らかになった」

「私の会社で中国人が情報を流出するアクシデントがあった」

 

この発言を考慮すると、以下2つの条件を満たした場合に合理性が認められます。

発言が事実である

明確な因果関係(中国人の生産性が低い→雇わない)が存在する

前者は正直判断がつきません。

よって後者にのみ言及すると、僕は以下2点を根拠として因果関係の存在に疑問を抱いています。

 

1.理由が後付けにしか感じられない

これは、数日後にテレビ局の取材を受けての発言です。

もしこのような正当かつ直接的な理由があるのならば、当該ツイートに添えて示すべきだったのではないでしょうか。

もしくは、炎上初期の段階でSNS上で示すべきだったのではないでしょうか。

しかしながら大澤氏がツイートすることといえば、専ら非難する人々への反論や中傷ばかりであり、上記の理由には具体的に一切言及していません。

 

 

2.真の理由がツイッターから垣間見える

大澤氏のツイッターを見る限り、彼は極端に右翼寄りの思想を持っています。

(勿論これ自体は問題ありません)

今回の件で大澤氏を非難する人々を一様にして“パヨク”や“シバキ隊”と決めつけていることからもよく分かります。

 

 

僕の経験上で申し訳ないのですが、“パヨク”や“シバキ隊”という言葉を使う人に中国や韓国を敵視しない人はいません。

大澤氏にとっても、中国は西側資本主義陣営の安寧を崩す脅威であり、その国民も例外なく忌み嫌う存在なのではないでしょうか。

データ分析云々は後からのこじつけに過ぎず、単なる自己の好みを採用活動に反映させているのでは、と個人的には感じます。

 

以上を踏まえると、大澤氏は合理的理由なくして特定の人種に不利益を与えていることになります。

これは、間違いなく人種差別にあたるのではないでしょうか。

しかし今回の件が、法的に罰せられるか否かについては難しいところです。 

法的な問題はあるのか

弁護士ドットコムニュースによれば、今回の事例が法律に反しているどうかは極めて微妙なラインだそうです。

昭和48年の最高裁判例によると、憲法22条(職業選択の自由)及び財産権(29条)の元で企業は採用の自由を有しているため、思想信条の自由を理由とする採用拒否は不法な行為とはならない、と明示しています。

また労働基準法3条では国籍を理由とする労働条件の差別を禁止しています。

しかし採用活動自体は労働条件にあたらないために、この法律は適用されません。

一方で憲法14条が規定する法の下の平等憲法13条が保障する人格権、憲法27条の労働権保障等の理念を具体化した立法や法解釈により、採用の自由が制約される場合もあります。

従って今回の事例が法的に問題となるかは、実際に裁判にならないと何とも言えません。 

大澤氏個人及びDaisyへの影響

 確かに法的に追求することは難しいかもしれませんが、大澤氏個人や自身が運営する企業Daisyにとって計り知れない悪影響が生じています。

事態を重く見た東京大学は、即座にHP上で謝罪をした上で学生各位にも謝罪文送っています。

また調査委員会の設置を発表しており、今後の大澤氏の進退にも影響が出るかもしれません。

さらに大澤氏が講師を務める寄付講座に出資するマネックスグループやオークファンが寄付を停止する方針を決定したほか、Daisyに出資するリミックスポイントも今後の対応策を考慮しています。

 

 発言の必要性

2つ目の論点に移りましょう。

大澤氏は自らの差別的な採用方針をSNS上で示した結果炎上してしまったわけですが、

なぜわざわざ公表したのでしょうか。

直接的な理由としては、以下2つがあると考えています。

 

1.判断力の欠如

大澤氏は、一連の発言がどれほどの影響を及ぼすかを判断することができなかったのでしょう。

彼のツイッターを遡ると分かるのが、話題は違えど過去にも過激な発言を数多くしていることです。

しかし過去の発言は、それほど話題になっていないのです。

従って今回も何の気なしに呟いてしまったのでしょう。

現に番組取材において本人は

「居酒屋で喋るぐらいのノリで書いてしまいました」

と発言しています。

2.他者の痛みを鑑みることができない

テレビ番組の取材では、つぶやきを見た中国人が傷づくと思わなかったのか、との質問に対し以下のように答えています。

「最近の若者はバカなんだよねって言われて傷付きます?ちょっとイラっとするぐらいですよね。中国人もバカだって結構言われているので、ポロッと書かれたくらいで全然傷つかないです。」

 

大澤氏は要するに他人の痛みを推し量ることができない人物なのではないでしょうか。

僕は若者ですが、赤の他人から若者と極度に一般化されて根拠なく中傷されたら普通に傷つきます。

このツイートを見た中国人も傷ついたことでしょう。

また大澤氏の上記の発言の中の「中国人もバカだって結構言われているので」という部分も引っかかります。

そんなことを言っているのは、大澤氏の周囲の残念なオトモダチだけではないでしょうか。

 

さて、上記はあくまでも差別的発言をSNS上で投稿した理由です。

それには、大澤氏の心の中に差別的な思想が存在することが前提となっています。

では、そもそもなぜ大澤氏は差別的思想を抱くようになったでのしょうか

 

結論から言うと、大澤氏の歴史を軽視する姿勢に最大要因があると思います。

大澤氏のこのツイートをご覧ください。

  

ここで大澤氏は、

「なぜ差別はいけないのか、に懐疑的になる必要がある」

と述べています。

確かに既存の概念に疑いを持ち、再考することは大切です。

イノベーションは往々にしてこうして生まれますし、これに異論はありません。

しかし、差別の是非は果たして改めて考える必要があるのでしょうか。

少しでも歴史を齧ったことがある人ならば、差別が人類にとって“百害あって一利なし”であることは一目瞭然です。

なぜならば、差別が最終的には人間同士の殺し合いに繋がることを歴史が証明しているからです。

 

ヒットラー率いるナチス政権は、純血主義に基づきユダヤ人や障害者、共産主義者を公然と差別して大量に殺戮しました。

原始共産主義社会を目指したポルポトは、知識人を中心に200万人以上の人々を殺しました。

ルワンダ内戦では、憎しみ差別しあったフツ族ツチ族が衝突し100万人以上の犠牲が出ました。

 

このように差別は改めて考えるまでもなく、殺戮を助長しる最悪な行為なのです。

誰が人と人とが殺し合う世界で生きたいのでしょうか。

しかし大澤氏はあまりの無知さゆえに、差別がなぜいけないのかが理解できないのです。

いや理解しようとすらしないのです。

興味のない分野において思考停止しているのは、大澤氏本人です。

僕はこれは、大澤氏が歴史をきちんと学ばなかったゆえの弊害であると感じています。

 

 

上記のツイートからも分かるように、大澤氏は歴史を軽視するゆえに非常に浅はかな知識しか持ち合わせていません。

それゆえに差別の是非を考えるための、そもそもの材料や機会を持たないまま大人になってしまったのでしょう。

差別主義者の発生は偶然ではなく必然です。

これほど幼少期からの歴史教育の重要性を痛感したことが、未だ嘗てあったでしょうか。